【0円】神奈川県の中井「厳島湿性公園」は駐車場もあるし公衆トイレもある。木道を歩いてまったり。5月下旬から6月上旬にはホタルが踊り、野鳥を観察する人たちの望遠レンズが時折腰を据えて鳥の飛来を待つ。子供がザリガニを釣りまくり、植物好きは興奮続き。そんな素敵な公園が「東名高速」の「秦野中井IC」の近くにあります。箱根温泉からの帰り道、チョロっと一回降りて立ち寄るのも素敵なひとときだと思われ!(^o^)/ #秦野中井 #バードウォッチング #野鳥 #ホタル #神奈川 #ドライブ #湿地 #公園 #ツーリング #湿生地 #厳島神社 #清水 #湧き水 #竹林 #ザリガニ #水生植物 #水生動物 #アメンボ #釣り
厳島神社と鏡
二宮町の吾妻神社の祭神は「弟橘媛(をとたちばなひめ)」で、ご神体は「櫛」ですが、この櫛は西暦110年ごろのこと、景行天皇の皇子、日本武尊(やまとたけるのみこと)のフネが相模灘で暴風雨にあい、いまにも沈没しそうになったとき、生け贄となって海神の怒りを静めようと海中に身を投げたオトタチバナヒメの持ち物で、それは、旧山西村梅沢の漁師の網にかかったものだといわれています。
その後、この漁師の網本の夢枕に立った神が、「過日、網でひきあげた『鏡』が、今は葛川上流の泉の湧き出る神社に安置されておる。貴重な品ゆえ、熱く信奉するがよい」ともうしされました。そこで翌日、網子を集めてさくやのお告げを伝え葛川流域一帯をくまなく探させたところ、それは、北久保の厳島神社、別名弁天様であることがわかりました。早速、神社に出向いた網元は、神主に事の次第を話して氏子になりました。そして、浄財を寄付し、鳥居や賽銭箱を奉納するなど、大変熱心に奉仕していました。すると、近年になく連日ブリの大漁が続くので、網元はクビをひねりながら「厳島神社の祭神は海の神だそうだから、豊漁はこの神様の恵みかもしれない」と考え、それ以来、季節の新鮮な海の幸も供物に加えて供えるようになりました。
そして、怖い話
下井ノ口から土屋へ通じる道は、昔は人の住む家もなく、大きな桜の木がある墓地の脇を通り、薄暗い林をぬけなければならない淋しい山道でした。そんな所でしたから、狐火が出るという噂も広まって、夜ともなれば、村人の行き来はほとんどありませんでした。
そんなある日のこと。北窪にすんでいるおじいさんが、矢沢の親戚の祝言に招かれ、紋付き羽織袴の正装ででかけました。ところで、むかしの披露宴は親類縁者同士がよるおそくまで酒を酌み交わし、二人の将来を祝福するのが習慣でした。
おじいさんは、お開きになるまで十分に時を過ごし、ようやく腰を上げて、引き出物の口取りの折り詰めを受け取ると、新調の二重回しをはおり、我が家に向かって千鳥足で歩き始めました。はなうたまじりで、矢面の山道へさしかかると「もし、そこを通るご隠居さん。そのお手の物を私に下さいませんか。もし、ご隠居さん」といううら若い女の声に引き留められました。足を踏みこたえて立ち止まったおじいさんは、しゃっくりを一つしてから、回らぬ舌で「どなたか知らんが……これはな。今日の出がけに、可愛い孫娘と約束してきたおみやげなんじゃ。……いまごろは、首を長ーくして待っていることじゃろうて。だから、あんたさんにあげるわけにはいかんのじゃよ。悪く思わんでくれ。……な」と言いながら、手に持っていた折り詰めを、そっと二重回しの下に隠し、あたりを見回しました。すると、女は「実は、……わたしにも乳飲み子と幼い子が三人います。……そちらのお孫さんと同じように、今頃は、ひもじさに耐えながら、私の帰りを待ちわびていることでしょう。どうか、そのお料理をめぐんで下さい」と、しつこく闇の中から繰り返すのでした。
押し問答がおっくうになったおじいさんは、それには答えず、女の声を振り切るように歩き始めました。すると再び「お金は出します。……手持ちの全てですが、子供の命には代えられません。お金ははらいますから、どうか、その口取り肴を譲って下さい」と女の声が追いすがってきました。そして、おじいさんの目の前へ、二枚の小判が差し出されました。めったにおめにかかれない山吹色の小判に目がくらんだおじいさんは、つい我を忘れて折り詰めを渡してしまいました。二枚の小判をしっかり握りしめた夢心地のおじいさんは、分かれ道を誤って右に折れ、泉の湧き出る底なし沼のような弁天様の湿地へと向かっていきました。
やがて、夜が白々と明け、朝仕事の村人が通りがかり、「おーっ、深けぇえ! おおっ! 深けぇ!」という声を耳にしました。見ると、沼地の中で男がもがいています。二重回しを背中にたらし、泥まみれの羽織とずり落ちそうな袴をつけた顔見知りのおじいさんの変わり果てた姿でした。そしておじいさんの手には、二枚の樫の葉が、しっかりとにぎられていました。