マイムマイムの「ベッサンソン!」って何?


フォークダンスが日本に来たのは?

フォークダンスが日本にやってきたのは戦後のGHQによる日本への民間教育がキッカケだったと言われています。「アメリカが日本人を娯楽に夢中にさせて骨抜きにさせるため」だとか、「男女が同じ立場で娯楽に勤しむことで男女平等を教えるため」など、フォークダンスを輸入した意図については諸説あるようです

戦争が終わって進駐軍が日本を支配しました。この時、進駐軍は日本人を骨抜きにするため、3S政策を取ったといいます。3Sとは、Screen(スクリーン=映画)、Sport(スポーツ=プロスポーツ観戦)、Sex(セックス=性産業)のことです。アメリカ映画・野球・性産業という熱中できそうな餌をばらまいて、猪突猛進的な日本人の気骨を崩し、メロメロにしてしまうという愚民化政策のことでした。ゼロ戦や回天のように、人の命を軽視する兵器を使った日本人に恐れをなしていたからでしょう。政治や戦争への関心をそぎ落とし、他のことに熱中させるようにするマインド・コントロール作戦を実行したのです。

GHQ(進駐軍)(連合国軍最高司令官総司令部)の軍民間教育担当官のウィンフィールド・パンティネ・ニブロ Winfield P. Niblo さんが、長崎の人々にスクエア・ダンスを教えたのが最初です。

若者では流行したが中高年は白い目を向けていた

1950年代、公園や広場などはフォークダンスを踊る若者がたくさん集まっていました。それを見た中高年は、あまり快くは想っていなかったようです。戦争中、日本人はアメリカ人を鬼畜米兵と言って敵視していたし、英語を話すことも禁止されていましたから、アメリカのダンスを踊る若者たちを白い目で見る人が多かったのです。しかも、男女が寄り添い、手を取って踊る姿も受け入れがたいものがあり、反感を買っていたのでしょう。日本の伝統的な踊り(盆踊りなど)の多くは、他者と手を取ることはありませんので、多くの男女が身体を触れ合って踊ることは、許しがたいことだったのでしょう。

そんな状況の中で三笠宮親王がレクリェーション活動に理解を示され、自らが日本レクリエーション協会総裁になられたことは、偏見で見ていた多くの日本人の感情を和らげたことでしょう。三笠宮親王は、全国各地を回って、国民と共に踊って親交を深められました。

徐々に冷たい視線も少なくなり、日本フォークダンス連盟も起こって、日本のフォークダンス・ブームは定着しました。

マイムマイムの歌詞って?

ちなみに「mayim」が「水」で、あのクセになるサビの「be-sasson」は「喜びのうちに」という意味だ。

その歌詞は、旧約聖書(および三大預言書)のひとつである『イザヤ書』から採られていて、第12章第3節の「U’sh’avetem mayim be-sasson Mi-ma’ayaneh ha-yeshua(あなたたちは喜びのうちに救いの泉から水を汲む)」というフレーズがそのまま使われている。

アメリカがもたらしたとされるフォークダンスだけど、フォークダンスの曲はイスラエルの曲が多い。

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